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私の母は京都の方に撮影所の仕出しや(弁当屋?)に11~12歳頃から(丁稚奉公と言っていた)子守りに行ったそうです。子守りをしながら距離はあるのに竹田の子守唄や五木の子守唄を唄っていたそうです。ただお家の人早く良い人達で当時では珍しい事のようですが冬等は同じ炬燵で娘さんや女将さんと食事をしていたそうです。すると娘さんが「お松どんの足冷たいね、と言って足を両手で擦ってくれた」と話していました。母が唄っていたのを聴いて覚えた私ですが、今は私も好きで口ずさみます。良い唄を流して頂き有り難うございます😀。これからもこのような良い唄を宜しくお願い致します
素晴らしい作画をありがとうございます。最近、写真より作画の良さを感じています。、、、、、、、、RUclipsへのUP、ありがとうございます。
写真撮影のセンスが無いので色鉛筆戯れ絵描いております。稚拙でお恥ずかしい絵ですが雰囲気を伝えたく思いまして。
素敵なカバーでした。因みにこの曲は、1974年12月~1975年1月の間に「NHKみんなのうた」で放送されておりました。歌い手はペドロ&カプリシャスで、映像は実写でした。残念ながら、その映像は見つかっておりません。その当時(1961~1979)の「みんなのうた」の映像や音声を視聴者提供などで探す「NHKみんなのうた」の「発掘プロジェクト」が、2021年12月31日をもって、終了するらしいです。この曲以外にも、たくさん発掘対象曲が、まだ後356曲もあります。未だに未音声状態である楽曲も、後55曲もあります。もったいない…。素晴らしい企画だったのに…。
アーカイブこそ財産なのに
@@臣灘島 ですよね。せめて、別口の「NHK番組発掘プロジェクト」に吸収される形で、活動を継続し続けてもらいたいと思っております。
@@臣灘島 ある方が、教えて下さったのですが、今後は、公式サイトの番組のメッセージで、楽曲の情報提供の受付をしていくらしいです。
大根めしや菜めしは想像が出来ましたがもんばめしは全くわかりませんでした。他の動画でおからめしだと知りましたが、めしとは言っても壊れたお米が少しだけあるだけで、殆どがおからだったでしょうね。体には良さそうですが。おからめしは少しショックでしたね。これは被差別部落の守子歌のようですが、少女たちの労働歌だったんですね。解放同盟の女性コーラス版を聴きましたが、この歌の持つ本来持ったと思われる悲惨な状況で子守をすることしか出来ない少女の、それでも生き延びてやる!っていう力強さを感じました。赤い鳥ヴァージョンはただもう美しくて悲惨さしか伝わって来ませんでしたから。でも赤い鳥ヴァージョンも好きです。とにかく美しいので。これのヒットのおかげで元歌が広く知られるようになった、という貢献度も高いと思います。
武田の子守り唄は、亡き友が京都の伏見区に住んで居ました時に、遊びに行って、武田地方を訪れた思い出がありまして、子守り子さんの悲哀が感じられて、聴く度に😢😢😢悲しくとも、負けてなるものか。💓♥️❤️な一曲です。ありがとう😆💕✨ございました💝
当初は豊後竹田の守子の歌と思われていたそうです・・名曲ですが紆余曲折合った状況が偲ばれますね。日本有数の哀切なワークソング、と思っております。
こんにちは。総体的に、日本の伝承唄や童謡などは、哀愁を伴うものが少なくないですね。この曲は、その中でも特殊性を感じますが、日本人の心の部分で感銘を受けます。
原曲の旋律はアップテンポの短調で更に切なさを感じる気もします。ruclips.net/video/duX-s8tNo-M/видео.html
ホンマの竹田の子守歌や!世間に公表できないもんをアップしてくれて有難うと言いたい!
既に原曲の合唱CDが発売されていますから・・
こういう曲を聴くとなんか心が落ち着きます、心がゆったりしますから血圧測定前によく聞いています ありがとうございます
此方こそご覧くださり感謝いたします。
I don't understand the Japanese language, but this song feels so familiar. Great, thanx for sharing !!!!
ありがとうございます・・お気に召せば幸い
何故か泪がにじみます!
原曲の旋律もより哀切で粗削りですが好きです。
寺の坊さん根性が悪い・・・守りが憎くて破れ傘渡して我が子が濡れる・・・優しい歌声ときれいなメロディに包まれてはいるが、衝撃的な歌詞だった。語り継ぎたい曲ですね。
原曲の旋律はさらに力強く、哀調に溢れています。。宜しければ此方も ruclips.net/video/duX-s8tNo-M/видео.html
お寺の住職さんって確かに優しくない人いますね、仏様に寄り添って仕事してるのにもっと優しい人間にならないといけませんね。
基督教の牧師、神父、神道の禰宜神主にも似たような事は言えそうですね。宗教も金銭絡み巨大化すると本義の慈愛を忘れそう。
昔、良寛和尚さんは確かに優しく子供と同じ目線で一緒に遊びました、現代の神職にある方もそういう目線で世間の人々と接して欲しいです。
絵がとても好きです。絵師さんに👍です!これからの日本は、またこんな風に貧しくなっていくのでしょうか…
動画作者が色鉛筆で戯れ描きしたものです。気に入ってもらえたら幸いです。
「守り」が置かれた状況がより詳しく歌われていますが、それが余計に切なさを増幅させて胸を締め付けます。「守り」は多分金持ちの家の子供のお守りをさせられているんだろうな・・・と言う所まではわかっていたのですが、この女の子は多分帷子や帯が揃ったところで実家もまた複雑、と言うか帰りたくない事情があるような所が歌われています。帰るべき場所も無く、居場所は「守り」をする金持ちの家だけ・・・昔の人が抱えていた経済状況をはじめとする「格差」は現代とは比べ物にならないくらいに大きなものだったんでしょうねえ。
元々京都の被差別集落に伝わった曲が原曲でした。奉公は現代の職とは異なり、半ば労奴のような扱いだったのでしょう。今の繁栄も此の歴史の上に成り立ってるわけですね其れゆえか聴くと沁みる気が致します。
竹田も久世も吉祥院も自分の住んでるところから1時間もあれば行けるから身につまされる。こういう悲しい歴史があったという事を逆に知らしめるべきだと思う。油小路の阪神高速の高架なんか、この人たち泣いて喜びそう。雨がしのげるからね。
京都も自分が通ってた頃とはだいぶ変わったかも・・西陣のあたりに良く仕事で行ってましたが。
子の歌がどうして放送禁止になったかはわかりませんが、このような歌はどこのもあったように思います。 私の住んでいた地区でも、田植えの時期になると子守り奉公の子供に働いていてもらいました。 特別な意識はなかったと思いますが、奉公している子供にとっては、真に心細いものがあったと思います。
日本全体が貧しかった時代は其れほど昔のことでは無いか、と。自分が子供の頃、まだ集団就職や冬の出稼ぎは北国農村の日常でした。
歌詞中に出てくる「在所」は一部の地方では被差別部落を意味します。ボクが住んでる地域にはそんな意味はありません。
ありがとうございます。
いえ、此方こそ
急に聴きたくなった。今、お彼岸てす。お祖母ちゃんが降臨してるかな?
うちの墓所に彼岸花、曼殊沙華が咲いていました・・・
何故か涙が湧いてきた 歳のせいか
基本、守子の労働歌ですから・・哀感と怨嗟が籠ってる気も・・
牧野撮影所から八坂神社迄子守して歩いていたそうです。
人間の隣には必ず人間が居る。
人間以外のものもいるでしょうけどね
懐かしい。琴線に触れます
原曲も良いですよ・・RUclipsに上がってます。
@@臣灘島 涙がでました
歌も心に響きますが、絵がとても良いです。できるならコピーでも良いので何とか手に入れたいです。
原画、残ってるかなあ・・遠い昔の落描きなもので。
@@臣灘島 返信ありがとうございます。子供のころ、着物を着て下駄をはいて遊んでいた人もいて、その頃の遊んだ情景を思い出します。貴重な原画でなく、パソコン上に掲載された絵をこぴーさせていただくとか、複製とかあればありがたいです。自然と目に留まるところに飾らせていただければと・・・・・
此の童顔の絵のコピーならご随意に・・ネット転載の場合出所だけご記入いただけると嬉しいです。
@@臣灘島 ありがとうございます。ネットの転載は考えておりません。あくまで自宅で眺めていたいです。絵の事はわからないですが、とにかく感じが良いです。
哀しくなりますね
元々、守り子のワークソングですから・・哀切さが滲みます。
「早う行きたい」ではなく、「早ういにたい」(いにたい➡帰りたい)の間違い。
原曲はそうなんですね・・赤い鳥の採譜詞に合わせてしまいました。以前にも指摘された方でしょうか
@@臣灘島 様 いいえ。初めて、指摘させて頂きました。竹田に近い伏見に居りますので、この歌に興味が有りましので、失礼いたしました。
ここでも山本潤子さんの歌でも「吉祥」は「きっちょう」と発言されてますが、「吉祥院」天満宮は「きっしょういん」と発音するように思います。あの辺りの地名ではないのでしょうか?
人工音声の発音が悪いので何ですが一応=きっしょ=と歌わせています。
Me pone nostálgica por alguna razon.
Canción de cuna japonesa ...Puede ser similar a la melodía española
原詩を正確に伝えてほしかった行きたい⇔いにたい
カバー制作当時、赤い鳥の歌詞しか入手不能だったもので。
聞いて下さい。
元々の旋律は大分違うんですけどね・・竹田の子守歌
今どきの子供は 明治時代の子供の扱いされるべき
よう分からん歌ですな。京都で雪がチラつくのは12月でっせ。竹田(伏見)は京都の中でも暖かい地域やし。
原詩のままですけどね、盆から先だから秋冬くらいの意じゃないかと。
@@臣灘島 守子さんには盆が終われば正月まで休みなしという感覚だったのかもしれませんね。盆休みがあってもオシャレができなければ嬉しくない・・・女の子らしいですね。
元唄の力強く哀調の強い旋律だと更に切なさ増しますね。ruclips.net/video/duX-s8tNo-M/видео.html
人の心のさもしさを季節にたとえてるだけか、当時はあまり風を避けるものがない地形で、風が通りっ放しな場所ですから、実際の温度以上に寒さがコタえたのかも知れませんね。先日城南宮に交通安全のお札返しに行きましたが、相変わらず風は通りっ放しな地形でした。
放送禁止と聞くが事実なのか? 都市伝説ではないか? エビデンスを知りたい。
要注意歌謡曲指定制度においては指定されてはいなかったとされ、2002年に大阪で開催された人権集会ではNHKの人権問題に熱心なベテラン局員は過去に同局で放送禁止に指定されたことはなくNHKからそういった扱いは受けなかったとしているが1986年のフジテレビ番組考査部の議事録とみられる文書には部落解放同盟の見解では作られ唄われた理由や背景をよく理解してくれるなら放送可能とされ、実際に理解することは不可能なので現実的には放送できないことが書かれている。(Wiki抜粋)基本、放送禁止曲と言うのは存在せず、要注意歌謡曲という業界内規範が存在していました・・名誉棄損、エロ、被差別、反体制、様々引っ掛かりました。1990年代になって中央民放キー局ラジオメディアのあるディレクターが此の曲の扱いに疑問を覚え色々と突き詰めたことで規制が緩和されるまで此の曲が放送で流されることは殆ど無く自主的放送禁止状態であったのは事実です。なお、原曲のメロディは流布されてるものとだいぶ異なります。エピデンスとまでは行きませんが少なくともローカル民放でも此の曲は暗黙の了解で放送されませんでしたね、昭和の終わりころまで。
京都の南は貧しく伏見稲荷大社が祭られたニャア!
渡来人秦氏の氏神、農耕神が起源と聞きますが・・
もりは守りなんだね、森かと思ってた。ああ、ちょっと切ない歌だね。だけど差別とかってなんだよ、今と昔じゃ人の生き方考え方違うし。左翼ってそうやって人と人の間を裂こうとするから嫌い。
左翼は嫌いですがw
隠れキリスト教の信者を逃れた京都の寺は受入れ無かったニャア🐱
部落差別の唄と云うのは後付けの感があります。部落民と一般町民とは交流が無かったので、益してや子守に使うなどと云うのは考えられない事です。戦後の部落解放運動にこじつけられたものではないのでしょうかね。
何時頃から在った歌かは定かでは無いのですが原曲の伝承は京都竹田の被差別地区です。江戸期に出来ていたとは正直思いませんが少なくとも戦前から在ったことは確かのようで。
所詮 皆 不要不急。
その言葉も不要不急ですか
@@臣灘島 五味川純平先生の『人間の条件』が座右の銘です。読破NOなら失礼致します。見識違いになります。
人間の条件は一応全巻所蔵しております。読破NOというわけでは無いですが座右の書ではありません。
あと、自分も暦ひと巡りは生きておりますが未だ凡愚なもので見識と言う言葉に相応する智に至っては居りません。知識に対してさえ未だ饕餮に足らざるに見識は荷が重すぎます。
@@臣灘島 土佐出身の「中江兆民」 さんや「板垣退助 」さん 「幸德秋水 」さんをNHk=大本営がファミリーヒストリーで明治時代の自由民権運動活家達に焦点を当てる必要性多々🐜と思っています。
小手先の感じですね。テクニックに頼ってるようですねェ。
小手先以前に此れ、人工音声ですから人間のニュアンスには適わんかとw
私の母は京都の方に撮影所の仕出しや(弁当屋?)に11~12歳頃から(丁稚奉公と言っていた)子守りに行ったそうです。
子守りをしながら距離はあるのに竹田の子守唄や五木の子守唄を唄っていたそうです。
ただお家の人早く良い人達で当時では珍しい事のようですが冬等は同じ炬燵で娘さんや女将さんと食事をしていたそうです。
すると娘さんが「お松どんの足冷たいね、と言って足を両手で擦ってくれた」と話していました。
母が唄っていたのを聴いて覚えた私ですが、今は私も好きで口ずさみます。
良い唄を流して頂き有り難うございます😀。
これからもこのような良い唄を宜しくお願い致します
素晴らしい作画をありがとうございます。最近、写真より作画の良さを感じています。
、、、、、、、、RUclipsへのUP、ありがとうございます。
写真撮影のセンスが無いので色鉛筆戯れ絵描いております。
稚拙でお恥ずかしい絵ですが雰囲気を伝えたく思いまして。
素敵なカバーでした。
因みにこの曲は、1974年12月~1975年1月の間に「NHKみんなのうた」で放送されておりました。
歌い手はペドロ&カプリシャスで、映像は実写でした。残念ながら、その映像は見つかっておりません。
その当時(1961~1979)の「みんなのうた」の映像や音声を視聴者提供などで探す「NHKみんなのうた」の「発掘プロジェクト」が、2021年12月31日をもって、終了するらしいです。
この曲以外にも、たくさん発掘対象曲が、まだ後356曲もあります。未だに未音声状態である楽曲も、後55曲もあります。もったいない…。素晴らしい企画だったのに…。
アーカイブこそ財産なのに
@@臣灘島 ですよね。せめて、別口の「NHK番組発掘プロジェクト」に吸収される形で、活動を継続し続けてもらいたいと思っております。
@@臣灘島 ある方が、教えて下さったのですが、今後は、公式サイトの番組のメッセージで、楽曲の情報提供の受付をしていくらしいです。
大根めしや菜めしは想像が出来ましたがもんばめしは全くわかりませんでした。他の動画でおからめしだと知りましたが、めしとは言っても壊れたお米が少しだけあるだけで、殆どがおからだったでしょうね。体には良さそうですが。おからめしは少しショックでしたね。これは被差別部落の守子歌のようですが、少女たちの労働歌だったんですね。解放同盟の女性コーラス版を聴きましたが、この歌の持つ本来持ったと思われる悲惨な状況で子守をすることしか出来ない少女の、それでも生き延びてやる!っていう力強さを感じました。赤い鳥ヴァージョンはただもう美しくて悲惨さしか伝わって来ませんでしたから。でも赤い鳥ヴァージョンも好きです。とにかく美しいので。これのヒットのおかげで元歌が広く知られるようになった、という貢献度も高いと思います。
武田の子守り唄は、亡き友が京都の伏見区に住んで居ました時に、遊びに行って、武田地方を訪れた思い出がありまして、子守り子さんの悲哀が感じられて、聴く度に😢😢😢
悲しくとも、負けてなるものか。
💓♥️❤️な一曲です。
ありがとう😆💕✨ございました💝
当初は豊後竹田の守子の歌と思われていたそうです・・
名曲ですが紆余曲折合った状況が偲ばれますね。
日本有数の哀切なワークソング、と思っております。
こんにちは。
総体的に、日本の伝承唄や童謡などは、哀愁を伴うものが少なくないですね。
この曲は、その中でも特殊性を感じますが、日本人の心の部分で感銘を受けます。
原曲の旋律はアップテンポの短調で
更に切なさを感じる気もします。
ruclips.net/video/duX-s8tNo-M/видео.html
ホンマの竹田の子守歌や!
世間に公表できないもんをアップしてくれて有難うと言いたい!
既に原曲の合唱CDが発売されていますから・・
こういう曲を聴くとなんか心が落ち着きます、心がゆったりしますから血圧測定前によく聞いています ありがとうございます
此方こそご覧くださり感謝いたします。
I don't understand the Japanese language, but this song feels so familiar. Great, thanx for sharing !!!!
ありがとうございます・・お気に召せば幸い
何故か泪がにじみます!
原曲の旋律もより哀切で粗削りですが好きです。
寺の坊さん根性が悪い・・・守りが憎くて破れ傘渡して我が子が濡れる・・・優しい歌声ときれいなメロディに包まれてはいるが、衝撃的な歌詞だった。語り継ぎたい曲ですね。
原曲の旋律はさらに力強く、哀調に溢れています。。宜しければ此方も ruclips.net/video/duX-s8tNo-M/видео.html
お寺の住職さんって確かに優しくない人いますね、仏様に寄り添って仕事してるのにもっと優しい人間にならないといけませんね。
基督教の牧師、神父、神道の禰宜神主にも
似たような事は言えそうですね。
宗教も金銭絡み巨大化すると本義の慈愛を忘れそう。
昔、良寛和尚さんは確かに優しく子供と同じ目線で一緒に遊びました、現代の神職にある方もそういう目線で世間の人々と接して欲しいです。
絵がとても好きです。絵師さんに👍です!
これからの日本は、またこんな風に貧しくなっていくのでしょうか…
動画作者が色鉛筆で戯れ描きしたものです。
気に入ってもらえたら幸いです。
「守り」が置かれた状況がより詳しく歌われていますが、それが余計に切なさを増幅させて胸を締め付けます。「守り」は多分金持ちの家の子供のお守りをさせられているんだろうな・・・と言う所まではわかっていたのですが、この女の子は多分帷子や帯が揃ったところで実家もまた複雑、と言うか帰りたくない事情があるような所が歌われています。帰るべき場所も無く、居場所は「守り」をする金持ちの家だけ・・・昔の人が抱えていた経済状況をはじめとする「格差」は現代とは比べ物にならないくらいに大きなものだったんでしょうねえ。
元々京都の被差別集落に伝わった曲が原曲でした。
奉公は現代の職とは異なり、半ば労奴のような扱いだったのでしょう。
今の繁栄も此の歴史の上に成り立ってるわけですね
其れゆえか聴くと沁みる気が致します。
竹田も久世も吉祥院も自分の住んでるところから1時間もあれば行けるから身につまされる。
こういう悲しい歴史があったという事を逆に知らしめるべきだと思う。
油小路の阪神高速の高架なんか、この人たち泣いて喜びそう。雨がしのげるからね。
京都も自分が通ってた頃とはだいぶ変わったかも・・
西陣のあたりに良く仕事で行ってましたが。
子の歌がどうして放送禁止になったかはわかりませんが、このような歌はどこのもあったように思います。 私の住んでいた地区でも、田植えの時期になると子守り奉公の子供に働いていてもらいました。 特別な意識はなかったと思いますが、奉公している子供にとっては、真に心細いものがあったと思います。
日本全体が貧しかった時代は其れほど昔のことでは無いか、と。
自分が子供の頃、まだ集団就職や冬の出稼ぎは北国農村の日常でした。
歌詞中に出てくる「在所」は一部の地方では被差別部落を意味します。ボクが住んでる地域にはそんな意味はありません。
ありがとうございます。
いえ、此方こそ
急に聴きたくなった。
今、お彼岸てす。
お祖母ちゃんが降臨してるかな?
うちの墓所に彼岸花、曼殊沙華が咲いていました・・・
何故か涙が湧いてきた 歳のせいか
基本、守子の労働歌ですから・・哀感と怨嗟が籠ってる気も・・
牧野撮影所から八坂神社迄子守して歩いていたそうです。
人間の隣には必ず人間が居る。
人間以外のものもいるでしょうけどね
懐かしい。琴線に触れます
原曲も良いですよ・・RUclipsに上がってます。
@@臣灘島 涙がでました
歌も心に響きますが、絵がとても良いです。できるならコピーでも良いので何とか手に入れたいです。
原画、残ってるかなあ・・遠い昔の落描きなもので。
@@臣灘島 返信ありがとうございます。
子供のころ、着物を着て下駄をはいて遊んでいた人もいて、その頃の遊んだ情景を思い出します。
貴重な原画でなく、パソコン上に掲載された絵をこぴーさせていただくとか、複製とかあればありがたいです。
自然と目に留まるところに飾らせていただければと・・・・・
此の童顔の絵のコピーならご随意に・・
ネット転載の場合出所だけご記入いただけると嬉しいです。
@@臣灘島 ありがとうございます。ネットの転載は考えておりません。
あくまで自宅で眺めていたいです。
絵の事はわからないですが、とにかく感じが良いです。
哀しくなりますね
元々、守り子のワークソングですから・・哀切さが滲みます。
「早う行きたい」ではなく、「早ういにたい」(いにたい➡帰りたい)の間違い。
原曲はそうなんですね・・赤い鳥の採譜詞に合わせてしまいました。
以前にも指摘された方でしょうか
@@臣灘島 様 いいえ。初めて、指摘させて頂きました。竹田に近い伏見に居りますので、この歌に興味が有りましので、失礼いたしました。
ここでも山本潤子さんの歌でも「吉祥」は「きっちょう」と発言されてますが、「吉祥院」天満宮は「きっしょういん」と発音するように思います。あの辺りの地名ではないのでしょうか?
人工音声の発音が悪いので何ですが一応=きっしょ=と歌わせています。
Me pone nostálgica por alguna razon.
Canción de cuna japonesa ...
Puede ser similar a la melodía española
原詩を正確に伝えてほしかった
行きたい⇔いにたい
カバー制作当時、赤い鳥の歌詞しか入手不能だったもので。
聞いて下さい。
元々の旋律は大分違うんですけどね・・竹田の子守歌
今どきの子供は 明治時代の子供の扱いされるべき
よう分からん歌ですな。
京都で雪がチラつくのは12月でっせ。
竹田(伏見)は京都の中でも暖かい地域やし。
原詩のままですけどね、盆から先だから秋冬くらいの意じゃないかと。
@@臣灘島
守子さんには盆が終われば正月まで休みなしという感覚だったのかもしれませんね。
盆休みがあってもオシャレができなければ嬉しくない・・・女の子らしいですね。
元唄の力強く哀調の強い旋律だと更に切なさ増しますね。
ruclips.net/video/duX-s8tNo-M/видео.html
人の心のさもしさを季節にたとえてるだけか、当時はあまり風を避けるものがない地形で、
風が通りっ放しな場所ですから、実際の温度以上に寒さがコタえたのかも知れませんね。
先日城南宮に交通安全のお札返しに行きましたが、相変わらず風は通りっ放しな地形でした。
放送禁止と聞くが事実なのか? 都市伝説ではないか? エビデンスを知りたい。
要注意歌謡曲指定制度においては指定されてはいなかったとされ、2002年に大阪で開催された人権集会ではNHKの人権問題に熱心なベテラン局員は過去に同局で放送禁止に指定されたことはなくNHKからそういった扱いは受けなかったとしているが1986年のフジテレビ番組考査部の議事録とみられる文書には部落解放同盟の見解では作られ唄われた理由や背景をよく理解してくれるなら放送可能とされ、実際に理解することは不可能なので現実的には放送できないことが書かれている。(Wiki抜粋)
基本、放送禁止曲と言うのは存在せず、要注意歌謡曲という業界内規範が
存在していました・・名誉棄損、エロ、被差別、反体制、様々引っ掛かりました。
1990年代になって中央民放キー局ラジオメディアのあるディレクターが
此の曲の扱いに疑問を覚え色々と突き詰めたことで規制が緩和されるまで
此の曲が放送で流されることは殆ど無く自主的放送禁止状態であったのは事実です。
なお、原曲のメロディは流布されてるものとだいぶ異なります。
エピデンスとまでは行きませんが少なくともローカル民放でも
此の曲は暗黙の了解で放送されませんでしたね、昭和の終わりころまで。
京都の南は貧しく伏見稲荷大社が祭られたニャア!
渡来人秦氏の氏神、農耕神が起源と聞きますが・・
もりは守りなんだね、森かと思ってた。ああ、ちょっと切ない歌だね。だけど差別とかってなんだよ、今と昔じゃ人の生き方考え方違うし。左翼ってそうやって人と人の間を裂こうとするから嫌い。
左翼は嫌いですがw
隠れキリスト教の信者を逃れた京都の寺は受入れ無かったニャア🐱
部落差別の唄と云うのは後付けの感があります。
部落民と一般町民とは交流が無かったので、益してや子守に使うなどと云うのは
考えられない事です。
戦後の部落解放運動にこじつけられたものではないのでしょうかね。
何時頃から在った歌かは定かでは無いのですが
原曲の伝承は京都竹田の被差別地区です。
江戸期に出来ていたとは正直思いませんが
少なくとも戦前から在ったことは確かのようで。
所詮 皆 不要不急。
その言葉も不要不急ですか
@@臣灘島 五味川純平先生の『人間の条件』が座右の銘です。読破NOなら失礼致します。見識違いになります。
人間の条件は一応全巻所蔵しております。
読破NOというわけでは無いですが座右の書ではありません。
あと、自分も暦ひと巡りは生きておりますが未だ凡愚なもので
見識と言う言葉に相応する智に至っては居りません。
知識に対してさえ未だ饕餮に足らざるに見識は荷が重すぎます。
@@臣灘島 土佐出身の「中江兆民」 さんや「板垣退助 」さん 「幸德秋水 」さんをNHk=大本営がファミリーヒストリーで明治時代の自由民権運動活家達に焦点を当てる必要性多々🐜と思っています。
小手先の感じですね。テクニックに頼ってるようですねェ。
小手先以前に此れ、人工音声ですから人間のニュアンスには適わんかとw